死から生を考える

20歳台後半のこと。

ある本で、ドイツの哲学者カントが死に際に自分の人生を振り返り「これでよかった」という言葉を残したというエピソードを読んだ。

(最近になって、それは本当のことでないことを知ったのだが・・・)

 

その時、人生を納得して終えることができるなんて、どんなに幸せな生き方だろうと思った。

自分もそんな人生が送りたいと思った。

 

その後、富士山に登って御来光を拝んだときに「どうか、『これでよかった』という人生が送れますように」とお願いをした。

 

その頃の私は、将来の仕事のためにどうしてもとっておかなければならない(と思っていた)資格があり、そのための勉強をしていた。

平日は仕事から帰って夜10時から午前3時まで、そして週末はほぼ一日図書館で勉強した。2年ほどそんな生活を続けていた。

勉強もなんとか進み、ある程度見通しがたってきて手ごたえを感じていた試験2か月前のこと。

風邪が長引いて治らないと思っていたある日、突然体を壊して入院することになった。

結局、病気のために試験は受けられなかった。

 

「いったい自分は何のために勉強をしてきたのだろう」

ショックと悔しさと当たる先のない怒りで頭が一杯になった。

また来年トライすればいいではないかと考える余裕すらなかった。

 

 

ところが、仕事に復帰したとたん、何故か「ああ、その資格は自分が心の底からやりたいことではなかった」と思った。

さらに、これまで好きで楽しく取り組んでいた仕事だったにもかかわらず、「ああ、今の仕事も自分が本当にやりたいことではないな・・・」と冷めた目で見てしまうようになった。

 

これまで自分が取り組んできたことが白けて、モノクロの画面を見ているような感じになってしまった。

 

「なんでこんなふうになってしまったのだろう」と突然の変化に混乱しつつも、

一方で、自分の魂?が「生き方が間違っているからだ」と訴えて、腹の奥底からマグマのように熱く湧き上がってくるのを感じた。

 

御来光の時の祈りがこんな形で効いてきたのか?

 

その時から、「死に際に『これでよかった』と納得できる人生を送るためにはどう生きるべきか」を考えるようになった。