先に、「日々を大切に生きる」を書きました。
が、その後いろいろ思いを巡らせていました。
A先輩は、仕事が忙しくて趣味の時間はとれなかったけれども、本当に仕事が好きで、お客様のためにとの思いが強く、私が想像する以上に実は充実した時間を送っていたのでは?とふと思いました。
趣味の時間はとれなかったかもしれませんが、ある意味仕事で思う存分手腕を振るい、「完全燃焼」という人生を過ごしたのではとも思いました。
別の先輩から「彼は仕事が大好きだったからな~」という言葉を聞き、忙しくて大変と思うのはお門違いで、大変だけど本人は充実していたのではと思いなおしたのでした。
もちろん、趣味をやり残した悔しさはあるとは思います。
でも、やり切った感はきっと大きかったのでは、と思います。
改めてA先輩から、「仕事でも趣味でも何でもいいから、情熱を注いでやり切ったといえるものがあるのか?」と問われているような気がしました。
A先輩の葬儀で会った元の職場での偉い方々に対して、卑屈になっている自分がいました。
思うこところがあって中途リタイアしたなら何も卑屈になることはないでしょうとは思うのですが・・・
リタイアした後に形になることを何もしていなくて、「私は今これをやってます」と胸を張って言えるものがないから卑屈になっているのでは?と客観視する自分がいます。
A先輩から改めて、日々を大切に生きることはもちろんですが、やりきったと思える人生を過ごすことの大切さも問われているような気がしました。