かなりの猛暑が続いていますが、皆様お元気にお過ごしでしょうか?
私はすでにバテバテです。
先日NHK総合テレビで「清里に来た男」というドキュメンタリー番組を見ました。
東京から来たデザイナーが、清里に移住して街づくりをデザインしようと地元に入り取り組んでいくようすを映していました。
1980年代に「高原の原宿」といわれて賑わった清里。
ブームが去った今は観光客もまばらで、当時流行ったメルヘンチックなたくさんの色とりどりの多くの建物が、廃墟のまま空しく並んでいました。
その風景を、移住してきた50歳代後半のデザイナーは、「とても面白くて可能性がある街」とみました。
それに対して地元に暮らすある人は、「時代が過ぎ去り、もうこの街は終わったと感じている」とみていました。
番組の視点はそこではなかったのですが、私は、何故かこの二人の真逆の視点が強烈に印象に残りました。
同じものをみているのに、一方は「これからの可能性」を感じ、他方は「終わった」と感じている。
どうとらえるかによって、真逆の結果になるんですね。
もちろん、デザイナーは、自分の確固たる感性と、デザイナーとしての経験知から社会の流れを敏感に感じ取っていることもあるのでしょう。
一方、地元の人は、過去の賑わいがどんどん寂れていく様子を目の当たりにしていたので、将来をどうしてもネガティブに捉えざるを得ないところもあるのでしょう。
番組を見ていて、自分の場合はどう判断するだろう思いました。同時に、いつも自分はものごとをどういうふうに判断しているかをも考えさせられました。
自分の場合、どうしてもネガティブな判断になってしまうと思いました。
そして、判断はいつもネガティブに考える方向にあると。
それは根がネガティブだからだと思いました。
今回この番組でこのやりとりを見ていて、自分のネガティブな視点がこれからの可能性を潰しているのではないかと思いました。
ネガティブになる慎重さももちろん時には必要かもしれません。
でも、どういう視点や感性を持っていれば、自分にとってもまわりにとっても可能性が拓けるようになるのか、考えるきっかけを与えてもらえました。