残された人生の時間の使い方

ゴールデンウィークが終わってしまいましたが、皆さまはどのように過ごされましたでしょうか?

 

先日、仕事から帰宅するときに夜の官庁街を通ったとき、ほとんどのビルに明かりがついていませんでした。いつも夜遅くまで煌々と電気がついているのに、今日はめずらしくみんな残業しないんだと思いました。

人通りの少ない暗がりを歩きながら、ゴールデンウィークの真っ只中であることを思い出しました。

自分もサラリーマンを続けていれば長期休暇だったな・・・とちょっと落ち込みました。私は、ゴールデンウイークは関係なく普段通りの勤務でした。日雇いなので働いた方が収入があるのでいいことではあるのですが・・・

歩くリズムにあわせ心のテンポを上げて自分が選択した結果なのだから素直に現実を受け入れようと思い直しました。

 

すみません。前置きが長くなってしまいました。

 

最近、急にバッハの「マタイ受難曲」が聴きたくなりました。ローマ教皇コンクラーベの影響でしょうか。

押し入れの奥にしまっていた段ボールの中からやっとのことでCDを探し出しました。

宗教音楽なのですがクリスチャンでもない私の魂を強く揺さぶりました。

特に、最後の「終結合唱:われら涙ながしつつひざまずき」の荘厳さには圧倒され、何度も何度も聴き直しました。また、3人の指揮者によるCDを聴き比べながらそれぞれ違った味わいを楽しみました(カール・リヒターガーディナーヘレヴェッヘ)。

日常生活で煤けた心をきれいに磨いてもらった気がしました。

 

マタイ受難曲を聴いていて、ふとかつて上司だったA氏のことを思い出しました。

 

20年くらい前のことです。私は上司のA氏と1年だけ一緒に仕事をしました。出来の悪い部下だった私は、超一流の仕事人であるA氏から仕事の厳しさを教えてもらいました。同時に何度も助けてもらいました。また、仕事だけでなくA氏の趣味である映画や音楽や建築についてもいろいろと教えてもらいました。

A氏は自称「バッハ狂」で、バッハに関するCDやレコードはほとんど持っていると豪語していました。

 

そのA氏が、私が異動した翌年に突然退職されたと噂で聞きショックを受けました。

A氏は当時50歳くらいだったのではなかったかと思います。A氏は所属していた部署で膨大な知識と経験を持つ唯一無二の存在でした。何か分からないことがあったらA氏に聞けといわれていました。存在感が大きかったA氏がなぜ退職したのか、その理由は誰もわかりませんでした。

 

A氏が退職されてから10年後、映画館でA氏とばったり会いました。全然変わっていない様子でホッとしました。退職の理由や今何をされているのかを聞けないまま、世間話に終始してしまいました。

 

バッハの話を振ると、A氏はCDとレコードはほとんど処分したとおっしゃいました。

私がもったいないと伝えると、A氏はさらりと「残りの人生がどれくらいあるのか分からないが、そう先は長くないと悟った。残された時間で自分が持っているすべてのCDとレコードを聴くことは不可能だ。それならば、本当に自分が気に入ったCDとレコードだけを手元に残してそれを何度も聴き続けようと思ったのだ。処分したものに未練は全くない」とおっしゃったのです。

かつて、膨大なバッハコレクションに囲まれて暮らすことがいかに楽しく心豊かで充実しているかを語っていたのに。

 

マタイ受難曲を聴きながら、A氏のその言葉がふと浮かんできたのでした。

 

私も残りの人生を考えるとき、A氏の言うように本当に自分が気に入ったことのために時間を使うべきだと思いました。

いや、無駄なことをしている時間はないのだと思い知らされたというか。

 

人生の残された時間は限られているのだということを意識して生活しようと思いました。今のようなダラダラした生活を続けてしまうことを戒めるためにも。

 


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マタイ受難曲 カール・リヒター指揮

終結合唱「われら涙流しつつひざまずき」は3:11:00頃からです