今日から9月。
いつもなら秋風を感じる時期なのに、猛暑日の予想となっています。
夏バテは大丈夫ですか?
「人生はあなたに絶望していない(V・E・フランクル博士から学んだこと)」永田勝太郎著(致知出版社)という本を読みました。
大学病院の医師である永田勝太郎氏が難病から立ち直る自伝なのですが、医療と人生について深く考えさせられる内容でした。
以下、本の内容をかいつまんで書こうと思います。
永田先生は全人的医療の必要性を感じて医学教育を行おうと努めていました。
全人的医療とは、患者の病気だけを診るのではなく、患者個人の体力や気力など病気の背景にある個人の状況もふまえて病気を診るという方法です。
身体(からだ)、心理(こころ)、社会(環境)、実存(生きがい)という視点で病を捉えようとするのです。
「病気を診ずして病人を診よ」(慈恵医大の創始者、高木兼寛氏の言葉)と言われるように、病気のみを診るのではなく、一人の人間としての患者全体を診て総合的に診断しなければ本当の治療につながらないという考え方です。
永田先生はもっと深く全人的医療を学びたいとの強い思いから、ウィーンのビクトール・フランクル博士(「夜と霧」の作者で精神科医)の元に教えを請いに何十回と通います。
フランクル博士から多くのことを学び、また自分がやろうとしていることが患者のためになるという思いを強くし、それが仕事のエネルギーになっていたのでした。
ところが、大学病院は「白い巨塔」のドラマのように教授間の派閥闘争が激しく、永田先生の属する学派は隅に追いやられてしまいます。
そんな時に、永田先生が病に倒れます。
自分が勤務する大学病院で検査を受け、専門医の治療を受けました。
その治療法に永田先生は疑問を持ちながらも、余計なもめごとは起こしたくないと意見せずに専門医の治療を受け入れました。
ところが、その治療によって寝たきりになって動けなくなってしまったのです。
治療法に問題があったことは明らかでした。
専門医はろくに問診をせずに、この検査結果にはこの治療と、杓子定規に治療方法を決定しました。
しかし、その病気の背景にある患者の体調や状況などを鑑みれば、別の治療法をとらなければならなかったのは明らかだったのです。
永田先生が取り組んでいた全人的医療を受けられなかったために、自分自身が寝たりにになり、しかも余命6か月とまで宣告される状況に陥ってしまったのです。
困ったことに、治療をした専門医には全く罪悪感も責任感もなく、当たり前の治療方針に則ってやっただけでの結果だから仕方がないと思っていました。
このことからも永田先生は全人的医療の必要性を強く感じたのでした。
寝たきりになった永田先生に、同僚の医師達は蔑むような目を向けました。
また、その大学病院で全くやる気のないなげやりなリハビリを受け、人としての対応の無さに心が折れてしまいました。
そんな絶望の淵にあり、永田先生はフランクル博士の奥様に、こんな状況で余命もわずかだというお知らせの手紙を出します。
フランクル博士は前年に他界されていたので、お世話になった奥様に自分が長くないこととこれまでのお礼の気持ちをお知らせしようとしたのでした。
フランクル博士の奥様からすぐに返事が届きます。
手紙には奥様がフランクル博士から常に言われていたという次の言葉が添えられていました。
「人間、誰しもアウシュビッツを持っている。
しかし、あなたが人生に絶望しても、
人生はあなたに絶望していない。
あなたを待っている誰かや何かがある限り、
あなたは生き延びることができるし、自己実現できる」
人生に何かを期待するのではなく、私に何ができるが問題だということ。
しかし、寝たきりで生きる気力も失いかけている永田先生には素直に受け入れる心の余裕がありませんでした。
ただ、その手紙を毎日、数百回も読み返しては、フランクル博士の温かいまなざしや夫人のしぐさが彷彿とされ、無心に何度も何度も読み返したのです。
すると奇跡が起きます。
勤務していた医科大学の学生たちが何十人もお見舞いにきて励ましてくれました。
事情があって疎遠になっていた子供たちもお見舞いにきてくれました。
全人的医療を学びたいと言ってくれる医師たちが現れるようになりました。
偶然だったのか必然だったのかわかりませんが、全人的医療を広めるための責任を感じさせられるような出来事が立て続けに起こったのです。
絶望の淵にありながらも「人生はあなたに絶望していない」の言葉を胸に試行錯誤を繰り返す中で、永田先生自身が「全人的医療を広める責任がある」という人生のミッションに気づかされるようになったのでした。
そこから、ミッションを遂行するため・・・生き延びるために、これまで自分が医師として行ってきた全人的医療を自身に行いました。
すると、寝たきりで余命6か月の状況から奇跡的に回復して日常生活が送れるようになったのです。
・・・まだまだ書き足りないことがあるのですが、あまりに長くなってしまったので今回はここまでにしようと思います。
永田先生が身をもって全人的医療の必要性を感じ、それを人生のミッションとして生きようとすることとなった奇跡的な過程を通して、全人的医療の必要性を知るとともに人生のミッションに気づくことの大切さを教えてもらいました。