音楽の感じ方の違いから気づけたこと

皆さんは、昔聴いた曲や読んだ本や映画を、最近になって聴きなおしたり読み直したり見直したりしたことはありますか?

その時どんな感じがしましたか?

感じ方に、昔と今で違いはありましたか?

 

今日は、私が昔よく聴いた曲を、最近になって聴き直した時に感じたこと、そしてそこから気づいたことについて書こうと思います。

 

先日、約35年ぶりにサックス奏者ジョン・コルトレーンのアルバム「バラード」を聴きました。

当時、このアルバムの甘くとろけるような優しい演奏に酔いしれて、毎晩のように聴いていました。

その後、何故かずっとご無沙汰してしまっていました(CDも行方不明になっていることもあり)。

最近、友人がCDを貸してくれたので、懐かしくて早速聴いてみました。

最初の曲「セイ・イット」が流れた途端、懐かしさよりも「・・・なんか違うな~」という気持ちが湧いてきました。全く心に入ってこないんです。

それどころか、聴いているうちに拒絶するような感覚になってしまいました。

昼だったので、静かな曲は合わないのかも・・・と思い、夜に聴き直しました。

でも、同じ感覚でした。

 

昔はあんなにも大大大好きで何度も聴いていたのに、今回は全然入ってこないんです。

いったいどうしちゃったの自分?と思いました。

 

何故こんな感じになったのか、理由をあれこれ考えました。

例えは変ですが、山菜は、若いころは苦さやきどさで好きになれなくても、大人になるとその美味しさがわかるということがありますが、今回はその逆バージョンという感じ?

年齢を重ねて感覚が鈍くなったために感じなくなってしまった?

ずっとあたふたした生活をして落ち着かないので、気持ちが入らないということ?

理由をあれこれ考えるのですがどうもスッキリしません。

どうでもいいことなのに、なんか引っかかるのです。

 

なので、「なんか違う」の「なんか」にフォーカスしてみました。

 

「なんか」

胸のあたりに・・・モヤモヤ、すれ違う感じ。

・・・落ち着かない感じ。

なんだろう、このモヤモヤして落ち着かない感じ。

 

ふと、ネズミがくるくる回っているあの「回し車」で、自分がくるくる回っているイメージが浮かんできました。

必死に走っても前に進めない。

焦ってあわてて、つんのめっている感じ。

走ることに必死で、周りを見たり感じたりする余裕がない。

 

そこから、「今ここ」ということを思いました。

 

意識していませんでしたが、今の自分の状況を客観的に見ることができました。

 

このままでは消耗するだけです。

少し立ち止まって、焦らず落ち着いてこれからのことを考え直してみようと思いました。

まずは、「今ここ」を味わうことを意識することが大切だと感じました。

 

音楽を聴いた違和感が、今の自分に必要な気づきに繋がりました。

とても大切なことを昔と今の自分の感じ方の違いから気づかせてもらいました。

 

ジョン・コルトレーンのバラードから「セイ・イット」


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秋風で思い出すこと

大雨や台風と大変な日が続いていましたが皆様お住いのところは大丈夫でしたでしょうか?

 

今日は久しぶりの日差しと青空で、気持ちが少し明るくなりました。

 

皆さんは、季節を感じた時に大切なことを思い出すことはありますか?

どんなことを思い出しますか?

 

私の場合、秋風を感じると毎年思い出すことがあります。

今日は、そのことを書こうと思います。

 

秋風を感じると、毎年30年以上前の秋の出来事を思い出します。

30年以上昔、マガジンハウスの「鳩よ!」という雑誌に、雑誌の編集者が「内観研修所」で内観を体験した記事を載せていました。

 

記事の内容はよく覚えていないのですが、「内観は浄土真宗の修行法がベースとなっている自分を見つめる修行である。1週間泊まり込みで朝から晩まで内観をしたら自分の心に感じるものがあった」というようなことが書かれていました。

 

内観の方法は、

自分の母親から始め、母親の次は父親・兄弟・配偶者・子供・友人…と、自分の関わりのあるあらゆる人に対しての自分を、3年程度のスパンで次の3点を振り返っていく(調べる)方法です。

(1)「していただいたこと」

(2)「して返したこと」

(3)「迷惑をかけたこと」

(1)から(3)を振り返り、定期的に巡回してくる指導者にそれを伝えるというものです。

 

たったこれだけのこと(?)を朝から晩まで1週間も続けて、本当に心の変化が起きるのか?と思いました。

疑問と期待に揺れ迷いましたが、1週間も缶詰めで自分を真剣に振り返るという機会はそうそうないと感じたので、雑誌に記載のあった研修所に申し込みました。

当時はサラリーマンでしたが、偶然遅い夏休みで1週間まとまった休みがとれることが決まったばかりでした。

 

9月上旬の1週間、研修所に籠って朝から晩までひたすら内観をしました。

最初は母親に対して、0歳から3歳まで、4歳から6歳まで・・・・現在まで、年齢を区切って、それぞれ上記の(1)(2)(3)の項目を振り返りました。

母親が終わると父親、その次は兄弟と順に振り返っていきました。

 

思い出せないことが多かったのですが、それでも自分は本当に家族や友人や先生など、いろんな方から支えられて生きてきたことに気づきかされました。当たり前のことが当たり前でないということを実感しました。

 

そうした気づきはあったのですが、まだ何か自分の心の奥で物足りなさというか、もっと深くたどり着かなければ意味はないという感じがしていました。

 

というのも、食事の時間に内観を体験した人たちの深い気づきの体験が音声テープで毎回放送されていたからです。

非行、失業、鬱など悩みを抱えた人たちの深い気づきが、時には涙とともに語られるのを聞くと、自分はまだ入り口にも立てていないということを実感させられていたからです。

 

ところが、やってもやっても深い気づきは得られず、力めば力むほど頭でばかり考えてしまい気づきは遠ざかるだけでした。

 

残り、2日、1日、1時間・・・ただ時間だけが過ぎて焦りが増していきます。

もうダメか?という思いが芽生えつつ、せっかく1週間も籠ったのだから深い気づきを得たい、得なければとこだわり続けていました。

 

研修中に所長の柳田鶴声先生から「大切な気づきは最後の最後の1秒にであうことがある。だから、最後の最後まで決して諦めることなく一生懸命内観に取り組んでください」と言われていました。

最後の最後まで自分の心の中の最後の1滴を絞るように真剣に取り組みました。

 

ところが無情にも何の気づきもないまま、ついに終了の合図がなる瞬間を迎えてしまいました。

・・・もうだめだと観念したとき、突然頭の中にこんな情景が浮かんできました。

 

両親が二人並んで露天風呂に入っていて、にこやかに話をしている風景でした。

カメラがズームインしていくと、母が微笑みながら「私たちの人生って何だったんでしょうね・・・」と父に語りかけています。

父はそれには答えず、ただただ遠くを見つめて微笑んでいました。

 

そんな何気ない風景でしたが、その風景から何故か「私(自分)は愛でできている」という言葉が浮かんできました。

両親の「愛」が「私」という形になっていることを実感したのです。

これまでどれだけ両親が私に愛を注いでくれたか・・・そのすべてが「ひとつの愛」として響いてきたのです。

 

ありがたくてありがたくて、ただただ両親への感謝の思いが溢れて涙が止まりませんでした。

その時、ものすごく大きなもので(物理的なものではなく)包まれているというか、安らかで満ち足りた感じがしました。

 

言葉では言い表せない体験でした(だから、みんな体験してみてというのだと思います)。

その体験は、私の生きる源になりました。

 

残念なことに、それほど大切な「源」にもかかわらず・・・「日常」に紛れて、頭の片隅に追いやられてしまっています。

でも、秋風を感じるとふとまた思い出すのです。

 

長くなりました。うまく書けませんでした。

私の秋風からの思い出です。

 

皆さんは、季節を感じたとき、そこからご自身の何か大切なことを思い出すことはありますか?

どんなことを思い出しますか?

 

昔の曲を聴いて気づかされました

西日本では暑い日が続いているようですが、こちらはすっかり秋に移行した感じです。

秋雨の影響もありますが、昨日は長袖を来ても肌寒い一日でした。

皆さんのお住まいのところはいかがでしょうか?

 

 

突然ですが、過去にとても苦しかったり辛かった時の自分を振り返ったりしたことはありますか?

当時の自分を振り返った時、今の自分はどのように感じたでしょうか?

 

私の場合ですが・・・

(少々個人的すぎる話が長くなって申し訳ありません。最後の結論だけでもお読みいただければありがたいです。それでは・・・)

 

最近、30年くらい前に聴いた曲をふと聴きたくなって、パソコンに入れていたその曲を探して聴きました。

ハープと歌のゆっくりしたテンポの曲で、流行りの曲ではありませんでした。

いつ聴いても心が落ち着く曲です。

 

流行らなかったのが幸いして(?)、当時の社会状況を思い出すことなく、まっすぐ自分自身の内面に意識が向かいました。

 

あの時の自分を今の自分が見つめる。

 

当時の自分は、病気で1か月入院した後、自宅療養を経て職場復帰した時でした。

復帰はできたものの、思うように体力が回復せずダウンしてしまう日々でした。

思うように仕事ができず、また回復の目途も見えずに焦っていました。

職場にも迷惑をかけ、管理職からも叱責されました。

とにかく早く体力が戻るよう何でもやるという感じで、様々な病院を巡ったりヨガや気功を習ったりと必死にもがいていました。

 

先が見えず、辛く苦しい時代。

当時もこれまでも「暗黒の時代」だとずっと思っていました。

 

これまでも当時を思い出すだけで暗い気持ちになったりしていました。

「大変だった。かわいそうだったな~」とセンチメンタルな気分に浸ったり、「よく頑張ったな~」と慰めるときもありました。

 

今回は、そんなこれまでの受け止め方とは全然違って、当時の自分を「とても純粋だった」と感じたのです。

心がとっても澄んでいて、水晶のように透明でピュアな感じ。

 

そんなふうに思ったのは初めてだったので、とっても意外でした。

 

それにしても、なんでそんなふうに思ったのか?

自分でもわかりませんでした。

 

なぜ、ピュアに感じたのか?自分を見つめてみました。

 

すると、水中で必死にもがく自分のイメージが浮かびました。

苦しい中でもがく自分になってみると、

「かけがえのない自分」「大切な自分」「守るべき自分」「自分を守れるのは自分」という言葉が湧き上がってきました。

 

自分を大切に思う気持ち(当時は意識していませんでした)、必死になって大切な自分を守ろうとする気持ち(これも意識していませんでした)。

その真剣さ。

意識していなかったのですが、そんな気持ちの純粋さを、今になって気づかされたのでした。

 

曲のピュアな感じにシンクロして、純粋な自分に気づかされて、今の自分に響いてきたのでした。

 

いや、今回は曲のピュアな響きを素直に受け止められたからこそ導き出されたといった方が正確かもしれません。

 

昔の曲が新たな自分に気づかせてくれました。

 

みなさんは、昔の自分を思い出したとき、どんな自分に出会ったでしょうか?

 

コミュニケーションの原点?に触れる

まだまだ暑い日が続いていますが、皆様おかわりありませんか?

 

本当に何でもないことなのですが、印象に残った出来事がありました。

今日はそのことを書こうと思います。

 

先日、車で仕事から家に帰るときの出来事です。

信号が青になったので右折しようとハンドルを切った時、右側の横断歩道を渡ろうとした中学生の女子が歩道で躓いて転んでしまいました。

 

彼女は私の視界に入っていて徐行していたので、余裕で歩道の手前で止まりました。

立ち上がった中学生がこちらを向いたので、車の中から「大丈夫?」と声を掛けました。といっても、車の窓を閉め切っていたので当然彼女に声は聞こえなかったと思います。

彼女は、私の口の動きを見て言葉を理解したのでしょうか?「うん」と私の目をしっかり見て元気に頷いてくれました。

その目が、「驚かせてごめんなさい。大丈夫です!」と伝えてくれた感じがしました。

 

たったこれだけのことなのですが、言葉をかわさずとも彼女とほんの一瞬目があっただけで、お互いの気持ちが確認し合えたことに感激してしまいました。

 

本当に些細な事なのに、その時、何故か感動して鳥肌が立ちました。

 

なんでそこまで感動する?と不思議に思ったのですが・・・

お互い見ず知らずなのに、ほんの2~3秒だけお互いに目を見ただけで、言葉を交わす以上に気持ちが通じ合った感じがする。

 

「目は口ほどにものを言う」ではないけれど、アイコンタクトが人とのコミュニケーションの原点の原点だと実感したからかもしれません。

 

みなさんは、目で感じたことってありますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偶然からの恵み

暑さが続いていましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

8月に入ると同時にコオロギが鳴き始めて秋の気配を感じています。

かつてない進路の台風に恐れながら過ごしていました。皆様のところは台風の影響はいかがでしょうか?

 

ブログに書くような気づきがない日々です。

何を書こうかと焦ってたら、ひとつ展開がありました。そのことを書こうと思います。

 

先日、オンラインで中古のCDを2枚注文しました。

そのうちの1枚を聴きぞびれていて、昨日聴いてみました。

すると、全然違う曲が流れてきてびっくりしました。

 

諏訪内晶子のチャイコフスキーヴァイオリン協奏曲を注文したのですが、同じ諏訪内晶子のブルッフのヴァイオリン協奏曲だったのです。

ジャケットには帯が広げられてチャイコフスキーヴァイオリン協奏曲とあったので、中身を確かめずに聴いたのでした。

そういえば、最初に届いた時に、帯からちょっと顔を出したジャケットの様子が違うことに違和感を感じていましたが、帯の大きな字を信じ込んでいました。

 

注文とは違うCDでしたが、あまり好きではなかったブルッフを聴く機会を与えられて、その良さを知らされました。

曲がもつ陰影のある味わい深さと、諏訪内晶子の端正で美しくメリハリのある情感溢れる演奏があいまって、なかなか聴きごたえがあったのです。

 

食わず嫌いだったかも・・・と思いつつ、偶然からもたらされた恩恵に感謝しました。

 

蛇足ながら、もうひとつ気づきがあったのですが。

それは、最初にCDのジャケットを見た時の違和感をもっと大切にしなければということです。

「あれっ?!なんか違う」という一瞬の違和感・直感を無視してしまった。

「お前はふだん直感を軽視してないか?」と直感から問いかけられたような気がしたのでした。

「やっぱり人はいい」と感じたこと

暑い日が続いていますが、みなさんお変わりありませんか?

 

デジタル化が進んでとても便利になっている世の中ではありますが、やはり人の力って別格だなと感じたことがありました。

今日はそのことについて書こうと思います。

 

最近、昔の職場のM先輩と何度か会う機会がありました。

M先輩とは20年以上前に職場が一緒でしたが、係が違うこともあってあまり親しく話したことはありませんでした。

 

最近、知人を通じてM先輩と再会することになりました。

M先輩は、定年退職後、再雇用の道を選びながら思うところがあり、途中で退職して新しい仕事にチャレンジしているとのことでした。

話をしているうちに、M先輩は先日亡くなった山田五郎さんなみの博覧強記の人物であることを知りました。

厚みのあるメガネのレンズが、相当な読書家であることを物語っているような気がしました。

 

話題が豊富で、多趣味でマニアック。話が広く深く面白くてずっと聞き入っていました。

音楽の話になり、私が音楽好きであるとわかると、次回お勧めのCDを持ってくるからといって、数日後に約束どおり数枚のCDを貸してくれました。

 

70年代のAORやコカ・コーラのCMに使われた音楽だけを集めたCD、ベルギー出身のジャズっぽいピアニストのCD。

幅広い手持ちの中から、私のためにセレクトしてくれたのでした。

 

ほとんどが初めて聴く曲ばかりでした(何曲かはどこかで聴いたことがあるような有名なものもありましたが)。

特に70年代のAORは新鮮でした。

50年ほど前の曲なのに、今生きているというか人間らしさというか、深い優しさのようなものが伝わってきてリアルに共感できました。

しかも意外と録音が良くて、ミュージシャンの気持ちや体温が伝わってきました。

 

そのことをM先輩に伝えると、「押し付けにならないといいけど、一部でもわかってもらえることがとてもうれしいんだよね」と笑顔で言ってくれました。

CDの感想を語り合うことによって、さらに楽しさと共感が深まっていったのでした。

通じ合う喜びとでもいうのでしょうか・・・

 

その喜びに浸っているとき、ふとこんなことを思いました。

今は音楽はサブスクリプションで聴くのが主流になっていて、しかも聴いているうちに自動でどんどん次のお勧めの曲が提示されるようになっています(実際にサブスクをしてないのでわかりませんがそう聞いています)。それはそれで、音楽の世界が広がっていいのですが。

 

今回、人からお勧めのCDを借りることで、

貸す側が相手のことを思って選択してくれて、借りる側は選択してくれたその思いと一緒に聴く。そして、そこに共感が生まれて、二人で「いいよね」と感動しあう。

心が通うというと大げさかもしれませんが、人と人が温かく繋がることができる。

 

サブスクリプションも便利でいいけど、「やっぱり人はいい」としみじみ思ったのでした。

 

 

 

 

縁がないと思う本から学べたこと

毎日暑い日が続きますが、みなさんお変わりありませんか?

私のほうはバテバテです。

「この程度の暑さなら全然大丈夫」と思っているのに体がついていきません。歳とともに暑さに弱くなっているんですね。

気持ちと身体が一致していないことを忘れてはならないと思いました。

 

さて、今回は、私にもっとも縁のない(興味もない)投資の本を読んでいて、なるほどと思ったことがあったので、そのことを書いてみようと思います。

 

投資やお金儲けに関しては、これまで全く興味がありませんでした。

銀行から投資を勧められても、わからないしお金もないからと断り続けていました。

そんな私が、なぜか図書館でふと呼び止められるようにして手に取ったのが「お金の増やし方」(高橋ダン著)という本です。

 

タイトルをみて、自分には関係ない世界の話だと思ったのですが、何故か読まなければならない気がしてとりあえず借りることにしたのです。

 

読んでみると、やはり投資やお金を増やすということについては全く興味が持てませんでした。

しかし、お金持ちの人のマインドや考え方については、お金もうけに関係なくとても参考になりました。

・・・というか、これまで自己啓発本によく書かれていたことを当たり前に実行しているということに気づくことができました。

 

そして、これまで頭だけでわかったつもりになって、実生活に落とし込んでいなかったことを反省しました。

あらためて実践してみようという気になりました。

 

本に書かれていた内容で特に印象に残ったのは、

◆お金持ちとそうでない人の大きな違いは、「非常に強いパッションを持っているかどうか」ということ。

自分の夢や目標を叶えたいと思うパッション=「生きがい」を持っていること。

それを追求しているうちにお金が流れ込んできて、お金持ちになった人が多い。

パッションが強い人は、朝起きてから夜寝るまで、ずっと自分の目標や夢について考えている。

何をパッションと感じるかは、子ども時代の経験が影響していると思われる。

 

◆新しいことは、小さく試してみる。自分で試してから判断する。「座学」よりも「少しずつ実践」がポイント。

 

◆不要な時は動かず、エネルギーを溜める。これを著者は「ライオン戦略」と命名。

メンタルエネルギーを使う対象を多様化して、思考の繰り返しを減らす。

 

◆自分のことを信じ、叩かれてもあきらめない。

大事なのはどれだけ強く打つかではなく、どんなに強く打ちのめされても、耐えて前に進みつづけることだ(映画「ロッキー」より、ロッキーのことば)。

 

◆叩かれたときに起き上がるためにはどうすればいいか?

「ライオン戦略」でエネルギーを溜めておくこと。

戦わなければいけないとき以外は戦わない。そして考え方を多様化して、さまざまな武器を整えておく。そのうえで自分を信じる。そうすれば、誰に叩かれた時にも起き上がることができる。

 

◆自信を持てない人が実行すべき3つのこと

1 「自分だけがダメだと考えないこと」(ダメだと思うのはあなただけではないということ)

2「健康を維持すること」(健康であることが自分の不安を減らし、自信を増加させる)

3「専門知識を持つこと」(これだけは誰にも負けないという専門知識があると自信を持つことができる。ダニング=クルーガー効果)

 

今度こそ?実生活で活用していこうと肝に銘じた次第です。

もちろん、お金持ちになるのが目的ではありません(笑)

 

縁がないと思った本から、大切なことを学ばせてもらえました。

 

みなさんにも、縁がないとか興味がないと思っていた世界の本から気づかされた経験はありますか?