感情からのサインを理解すること

先日、突然数年前に買ったまま読んでいない本が急に気になって、パラパラと読み始めました。

「人生の大切なことはコーヒーが教えてくれる」テレサ・チャン著という本です。

 

その中で、「感情からのサインを理解する」という文章に出会いました。

これまで、感情からのサインなんて考えたことがありませんでした。

そもそも私の場合、感情に浸ってしまって感情の意味を考える余裕がありません・・・

 

どんな文章かといいますと・・・(以下、「人生の大切なことはコーヒーが教えてくれる」から引用)

「(途中省略)そもそも感情というものの本質が非論理的なものだ。なぜだか分からないけれど、ただ悲しいというときが私たちにはある。それを否定するのではなく、ただ悲しいと感じることを自分に許していい。それは悪いことでも、恥ずかしいことでもない。

怒り、不安、悲しみといったネガティブな感情ですら、それは感じるためにある。そうした感情が感じられないと、それらは大きなストレスを引き起こす。感情は、あなたの内なる知恵からのメッセージなのだ。無視すれば、それは身体的または感情的緊張としてあらわれる。

 

感情は、何が大切で、何がそうでないかを明らかにする方法だ。扱いにくい感情は、私たちの人生に何らかの変化が必要なことのサインなのだ。

 

悲しみは、あなたの人生のある面を変える必要があることをー。

罪の意識は、もっと責任にたいして自覚的になる必要をー。

恥の意識は、自分の弱点ではなく強みに目を向ける必要をー。

嫉妬や羨望は、人生で本当に欲しいものは何かをはっきりさせる必要をー。

無感動は、精神的、身体的刺激がもっと必要であることをー。

不安は、問題を避けるのではなく、それに向き合う必要をー。

 

ネガティブな感情は、成長と発達に必要なもの。それらは、行動すること、苦痛の原因である状況や心の持ち方を変えること、そして前進することを要求している。

 

ネガティブな感情は、人生に変化を求める内面からのメッセージだ。無視せずに、その気持ちを感じ、メッセージを読みとろう。」

(ここまで引用)

 

私にとって、感情からサインを受け取ろうとするほど心の余裕がないような気がします。でも、上記のことを頭に入れておけば、少しは自分の感情を客観視する余裕が生まれることがあるかもしれないと思いました。

 

皆さんは、感情とどう向き合っていますか?

 

執着を手放すことについて

つい先日まで暑い日が続いていましたが、あっという間に秋が深まってきました。

紅葉も始まり、遠くの山に初冠雪がありました。冬が近づいてきていることを感じます。

皆様おかわりなくおすごしでしょうか?

 

先日読んだ書道家武田双雲の本「天国めがねの法則」を読んで、実践しなくてはと思いつつ、なかなかできないことがあります。

「執着を手放す」ということです。

 

武田氏は著書で、「執着しない方が幸運に恵まれる」と書いておられました。

執着を手放し、執着から解放されて毎日楽しく過ごしていると、幸運に恵まれることがあるといいます。

 

執着を手放し、「『どんな自分でも幸せ』ということにフォーカスしていると、ますますその人が幸せになるような出来事が引き寄せられる」ということを実例を示して書かれていました。

 

その章の最後には「ぜひ、みなさんも執着を手放して、たくさんの奇跡を体験してみてください」とありました。

 

私も執着を手放してみようと思いました。でも、いまだに手放せないでいます。

気持ちは手放そうとは思うのですが・・・

 

私は、音楽をいい音で聴くことに執着していて、今の状況に満足できずにいます。

もっとリアルな感じのいい音で聴きたい、「もっと、もっと」と執着しています。

 

20年ほど前、事情があって持っていたオーディオをすべて手放してしまいました。でも、いつかまたレコードなどでいい音質で音楽を聴きたいと思っていました。

3年以上前になりますが、中途退職した時に、ふとまた一からオーディオをそろえたいと思うようになりました。でも、仕事を辞めてお金がありません。

 

貯金を崩して中古の中で安いもの探して去年から少しずつ買いそろ始めました。

 

ニコンポ用の小さなスピーカー、処分寸前の中古CDプレーヤーにアンプにDAC。すべて中古品をかき集めました。

レコードプレーヤーを除いてCDやPCで音楽を聴けるようになりました。再び音楽を聴ける喜びにひたっていました。

でも、聴いているうちに、もっとちゃんとしたいい音で聴きたいという気持ちが抑えられなくなってきました。

あのスピーカーを買えばまともな音で鳴らせる、あのDACだと深みのある音がでる、あのケーブルでないと低音がでない・・・上を見るときりがありません。

 

どうせ聴くならいい音で聴きたい。

その度に「足るを知る」と肝に銘じるのですが…欲望が勝っています。

 

こんな時に武田氏のこのフレーズを読んで、確かに執着を手放さなければと思いました。

「執着を手放せば幸せがやってくるとあの武田双雲が言っているんだぞ!」と自分に言い聞かせます。

 

・・・にもかかわらずです。「もっといい音に!」と、こだわる自分がいます。どうしても執着を手放せないのです。

 

皆さんには執着しているものはありますか?それは手放すことができますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武田双雲氏の著書から学ぶ

日中は暑くても朝晩の冷え込みが結構応えるようになりました。ちらほらと紅葉も始まっています。

寒暖差アレルギーがあるくらいです。体調管理をしっかりしなければならない季節ですね。

 

先日、書道家武田双雲さんの著書「天国めがねの法則」を読みました。

その中で、なるほど!!と思わず膝を打った内容があったので簡単に紹介させていただこうと思います。「法則19 『強い自分』と『弱い自分』を親友にする」というタイトルの内容からです。

 

武田氏は、「誰でもポジティブとネガティブな面を持っている。ポジティブになりたければ、まずネガティブを受け入れること。それが自分らしく生きるために力になることにもつながる」といっています。

 

(武田氏がこの著書で言わんとしていることを私なりの解釈でまとめると)

人は、自分に対して「ポジティブに」というと、ネガティブな自分を否定したり責めたりしてしてしまいがちになる。そうするとネガティブな自分は、反発したり自己否定したりするようになってしまう。

だったら、強い自分と弱い自分をそれぞれ一人の人格とみなして脳内で会話させてみてはどうか。

強い自分が、弱い自分に「それじゃだめだろう」と否定するのではなく、まずは弱い自分の言い分をよく聞いてあげればいい。そして認めてあげればいい。

 

そのうえで、弱い自分に「でもこういういい面もあるのでは?」と投げかけてあげる。そうすれば、弱い自分も素直に「そうか」と受け入れたり、考え直してみることができるようにになるはずだといいます。

 

これは、人との会話からヒントを得ているそうです。

他人と会話をしていて、違いがあってもお互い否定せず共感しながら会話をすれば気持ちよく会話がはずむではないか。

同じように自分の中の「強い自分」と「弱い自分」をそれぞれ一つの人格とみて、お互いを否定せずに共感しながら会話をすればいいのではないか。お互いが親友になる。お互いの考えをリスペクトできると居心地が良くなる。結果上機嫌でいられるようになる。

 

以上、武田氏の著書を自分なりにまとめてみました。

 

どうでしょうか?とても面白い発想で、ハッとしました。

超ネガティブな私は、早速やってみるべきだと思いました。

 

テレビ番組「格付けチェック」を見て思ったこと

先日テレビで「芸能人格付けチェック」を見ました。

その中で、「弦楽七重奏」の聴き比べと「ロックバンド」の聴き比べの二つを見ていて思うことがありました。そしてそこからまた自分について考えることがありました。

 

「芸能人格付けチェック」の番組内の内容は、下記のとおりで、

https://www.asahi.co.jp/kakuzuke/ からの抜粋です。

 

「弦楽七重奏」
世界的に認められる一流プロが最高級の楽器で奏でる七重奏と、アマチュアの大学生の七重奏を聴き比べる。
楽器編成はヴァイオリン4本、ヴィオラ2本、チェロ1本とピアノ。一流のプロのために用意されたヴァイオリンのうち1本は格付けではおなじみの『ストラディヴァリウス』。今回は1732年に制作された『レッド・ダイヤモンド』。プロが使う楽器の総額は20億円。不正解のアマチュア東京藝術大学桐朋学園大学など名門で腕を磨いている大学生が普段学校で使用している楽器で演奏する。

 

「ロックバンド」
女性ハードロックバンド「SHOW-YA」の演奏と、小学生ガールズバンドの演奏を聴き比べる。
正解を演奏するのは、女性ハードロックバンドのパイオニアで2021年には世界進出をはたしたレジェンド「SHOW-YA」。不正解のロックバンドは全国から楽器自慢の女の子を集めた平均年齢10歳の小学生ガールズバンド。SHOW-YAのボーカル寺田恵子が大ヒット曲「限界LOVERS」をプロ、小学生バンドの両方で歌う。

 

ここまで、ABC TVのホームページから抜粋

 

 

この二つの聴き比べで、「弦楽七重奏」では正解者が1人、「ロックバンド」では正解者なしという結果になりました。

ロックバンドで全員がはずした時には、司会者がはずした芸能人全員に向かって「プロのミュージシャンのSHOW-YAに謝りなさい」とジョークを飛ばしていました。

 

番組的にははずすのはダメでしょうが・・・自分がいいと思った方が正しいでいいのではと思いました。

基本的に音楽はあくまで個人の感性で味わうものだと思うからです。自分がいいと思うほうが正しいと思います。

ただ、クラシックやSHOW-YAのロックについて、もともとを知っている人はきっと間違わないのだとは思います。

 

何の予備知識のない人が聴いてどう感じるかは本当に個人の感性なので、正解も不正解もないのだと思います。

実際、弦楽七重奏で学生が奏でる演奏はいい感じだなと思いました(プロが使用している合計20億円の楽器というハンディがあっても)。

小学生が演奏するロックは生き生きして若さ弾けるとても素晴らしい演奏でした。

 

なので、自分がどちらがいいと思うかという判断基準でものを見れば、正解も不正解もないのだと思いました。

 

翻って、音楽ではなく、自分の普段の生活での判断基準を振り返ってみますと・・・

いや~、いかに他人基準で生活しているか思い知らされました。

 

「あの人は、これをどう思うだろうか?」など自分の判断基準を無視して他人基準を勝手に思い描いて判断しています。

さらに、自分が勝手に思った他人軸を基準に行動してしまっています。

 

自信がないから?自己肯定感が低いから?波風を立てたくないから?自分を守りたいから?それが相手のためだと思うから?

どれもそうなのかもしれません。

 

もう少し、自分軸をしっかり持ってもいいのでは?と考えさせられました。

 

 

 

 

 

 

私はクラシックに明るくないので「クラシックの何たるか」を知りませんし、またSHOW-YAをきちんと聴いたことがなく、それらの本質を理解できていないので、ただTVから流れる演奏を聴いて個人的にどう感じるかという感覚で聴いていました。

 

クラシックについては、正直わかりませんでした。

TVを通してだからだと思いますが、プロが使っている楽器の合計20億円という凄さがあまりわかりませんでした。

 

 

 

 

 

目標を持つ大切さに今更ながら気づきました

日差しはすっかり秋色に変わりました。

いつの間にか暑くて寝苦しい夜から解放されていました。

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

おかげさまで体調も少しずつ回復に向かっています。一時は手術も覚悟しましたが今のところなんとかなりそうでホッとしています。

 

出来る範囲でやりたいことを少しずつやってみようと、最近ショートショートストーリーを書き始めました。

 

400字詰め原稿用紙で10枚くらいの短い小説ですが、差し当たってある文学賞に応募してみようと思い立ちました。

 

ストーリーの構成を考えたり、捻りを考えたりするのが思いのほか楽しく没頭できます。

応募期限までにストーリーが書き上げられるように机に向かう時間が多くなりました。

まだ体力が追い付かないのでいつも途中でダウンしてしまうのですが、ちょっとの時間でも集中できます。

期限がなかったらきっとこんなに集中して完成に向かって努力することはなかったと思います。

 

きちんとした目標を持つことの大切さを今更ながら感じました。

 

蛇足ながら、出来は別としてなんとか期限内に書き上げられそうです。

 

目標を持つことの大切さ、今更ながら気づきました。

これから、いろんな目標を立ててみようと思いました。

 

 

 

 

必死で取り組む姿から自分の甘さを突き付けられました

9月に入って日差しは強いものの秋らしい涼しい風を感じるようになりました。

蝉の鳴き声もほとんど聞かれなくなり、替わってコオロギの鳴き声が響きわたるようになりました。

 

昨日(9月6日)NHK総合テレビで、時をかけるテレビ「われらの再出発~失業サラリーマンたちの6か月」を見ました。

この番組を見て、時代や環境の違いを超えて「仕事」について考えさせられました。

 

番組の内容については、以下NKHのホームページから引用

「1996年東京都立亀戸技術専門校(当時)のビル管理科に入学した中高年の16人は、いずれもバブル経済崩壊後の不況下、リストラや倒産などで職を失ったサラリーマンたち。それぞれ培ってきた仕事へのプライドもあれば、家族の事情もある男たちだ。入学当初は会話もなかったが、やがてクラスメートとして勉強を教えあうなど友情が芽生えていく。冬の時代を懸命に生きる人たちの、入学から卒業、再就職までの日々を見つめた。

 

1997年放送の職業訓練校のドキュメンタリー。山田洋次監督はこの番組を見て『学校Ⅲ』を製作したと言う。」

(ここまでNHKのホームページから引用)

 

家族を養うため、社会の一員として働きたいため、これまでの職歴とは全く関係もなく、自分の生きがいや興味とも全く関係のないビル管理の仕事に就くために「必死」に勉強し、就職試験を勝ち抜こうと立ち向かう姿を見て考えさせられました。

 

番組を見ていて最初は、時代や環境が今とは違うから自分とは関係ない話だと思いました。

しかし、見ていくうちに、時代や環境は違えど今の自分の生き方、仕事との向き合い方がいかに甘いかを突き付けられ、それをかわそうと言い訳をしている自分に気づかされたのです。

 

言い訳ができないほど番組の中の中高年が「生きるための仕事」に立ち向かう気迫と迫力が圧倒的だったのです。

 

番組に登場したある人は、定年前にリストラされ、新しい就職口を見つけるため技術専門校のビル管理科で学んでいました。

定年ほどの歳になってから、これまでと全く関係のないボイラー管理のための計算式や構造や操作を覚えなければならないことの大変さ。

学校では休み時間も勉強し、学校が終わってからも自宅で遅くまで毎日勉強するハードな日々。

息子さんが「今までこんなに必死に勉強する姿を見たことがなかった」と驚くほどの奮闘ぶりでした。

 

それほど必死に努力しているのにもかかわらず、思うように成績が伸びず、これでは合格は難しいと告げる教官に涙ながらに悔しさを話す姿。

 

それでも、仕事を得るためにはどうしても乗り越えなければならない。

涙の後、諦めることなくさらに努力する姿。

それでも不合格。私なら立ち直れないだろう。

しかし、彼は自分のため、家族のためにも諦めることが許されない。

家族の支え、学校の仲間と教官の協力によってさらに勉強を続け、再挑戦で合格を勝ち取る。合格通知を見た時の喜ぶ姿。

その後、何倍もの就職試験に勝ち就職が決まり喜ぶ姿。

「輝く姿」とはこのことをいうのだと思いました。

 

 

振り返っての自分。

やりたいことをできる環境にありながら何もやっていない自分。

ぬるま湯に浸かったままでいる甘さを突き付けられた番組でした。

 

パートタイマーでたいした収入もなく不足分を貯金を切り崩して生活している自分。

3年ほど前に自分の魂が消耗し続けて無くなってしまいそうだとサラリーマン生活を辞めた自分。

これからは自分がやりたいことで人の役に立つことを仕事にするのだ、と意気込みながら結局何も前進していない自分。

(すみません、まだ具体的にどのようなことなのか書くことができません。書けないこと自体、先延ばしして消極的になっている証拠です)

 

貯金が無くなる前にまでに何とかしなければならないのに、切迫感がないというか、いつも言い訳をしてダラダラと先延ばしにしている自分。

 

この番組で甘さを突き付けられて何もしないわけにはいかない・・・

体調不良と付き合いながら、できる範囲でいいから前に進まなければと思った時間でした。

 



 

 

 

仮面に気づいたこと

ご無沙汰しております。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

地震や台風と自然の脅威が襲う日本列島。科学が発達した今でも自然の前に人間は全くなすすべがないことを思い知らされています。

 

私事ですが、しばらく体調不良が続きブログの更新が滞ってしまっていました。

体も思うようにならないことを思い知らされています。

まだ体調不良は続いていますが、出来る範囲でブログは更新していこうと思っています。

更新の間隔が長くなってしまうかもしれませんが、どうか長い目で見ていただければありがたいです。

 

最近、医者や薬に頼るだけでなく、自分で体のためにできることをやってみようと思うようになりました。

まずは免疫力を高めるために昔ヨガを習ったときのイメージリラックス法を思い出してやってみました。

 

仰向けに寝て、目をつぶって足先から頭まで順番に力を抜いていくというイメージリラックス法です。

 

やってみると、いろんな部分に力が入っていることに気づきました。

一番驚いたのが、顔の筋肉に力がはいっていることでした。

顔の筋肉ってこんなに緊張しているものなんだと。

 

なんでこんなに緊張しているんだろうと考えてみると、これまで長年にわたって仕事で仮面をかぶって仕事をしていたことに行き当たりました。

 

「自分の心と切り離された表情」で仕事をしていたからではないか?

あえて言えば仕事用の「仮面」を自分の顔で作っていたということ。

そして、その仮面がとれないまま固まってしまったのが今の自分の顔なんだということに気づいたのでした。

 

社会で生活するうえで、人はいろんな場面でその場にあわせて仮面を架け替えるものだという心理学者もいます。

確かに、社会で素の自分でいられる場面はそうそうないのかもしれません。

 

ただ、私の場合、仕事用に作った仮面がそのまま固まったままになっていたことに非常に驚きました。

無意識にそうしていたのでしょうが、そのことを今回のイメージリラックス法で気づけたことはこれからの自分の変化のために大切な気づきを得たと感じました。