承認欲求2

ブログを立ち上げたことを友人にお知らせしたところ、たくさんの励ましの言葉や感想をいただいて本当にありがたく思っている。

心から繋がっている方々からの言葉だからこそ深く心に響く。ありがたい。

 

先日のブログの「承認欲求」を読んでくださったある方から感想をいただいた。

その感想によって、さらに一歩自分の心を見つめる機会をいただいた。

うまく気持ちがまとまらないまま長文を書いてしまったが、お時間のある方にはお付き合いいただければありがたい。

 

ある方からの感想は、仕事は承認欲求だけではなく、どういう意識で仕事に向かうかで仕事に対する感じ方が変わってくるのでは?とのことだった。

例として、イソップの寓話にあるレンガ積みの職人の話を示された。

イソップに出てくる3人のレンガ職人の話

1番目の職人は、
「親方の命令で“レンガ”を積んでいる。苦労が多く大変だ」

2番目の職人は、
「レンガを積んで“壁”を作っている。この仕事は大変だが、金が良いからやっている」

3番目の職人は、
「レンガを積んで、後世に残る“大聖堂”を造っている。とても光栄だ」

 

自分の心に問うてみた。

『最初は3番目だったのに、下記の状況(※)にあって、自分にとっての仕事が非常に辛く感じられるようになって、結局1・2番目に変わってしまった。それが、すなわち自分の仕事に意義を感じなくなってしまったということであり、その辛さにスポットライトをあてて、誰かに「大変だったね」と一言でいいからいってもらいたかったということではないのか。認めてもらいたかったということ。』

 

  もちろん、どんな状況にあろうとも大聖堂ができるのだからと、その意義やミッションととらえれば問題ないのだろうが、器の小さい私にはとてもそんなの気持ちの余裕がなくなってしまっていた。

 

今は、こんな感じで気持ちを確認した。が、まだうまくまとまった感じがしない。まだ、なんかモヤモヤしている。

さらに、今日また別の方から、なるほど!という新たな視点もいただいた。自分が仕事をどうとらえていたかを、ますます深く探るようになりつつある。

 

きちんと探り味わった後、改めて報告させていただきたい。

 

皆さんは、仕事に対してどのような思いで取り組んでおられるでしょうか?

 

 

(※)自分の仕事の状況について、寓話のレンガ積みで表現するならば、上司などにより管理される状況が加わり意義を感じなくなるという感じだろうか。

 

1上司から、前任者のやり残した1万個を先に積み上げたうえで、この2か月のうち     にさらにもう1万個積み上げろと指示される。反発が許されず、理不尽な気持ちを抑え、猛烈に残業しヘロヘロになりながら積み上げる。最後には心身ともに疲れ果てる。

 

2上司から、A地区のブロックを午前に1000個積み上げ、午後からB地区のブロックを1000個積み上げ、夜にまたA地区にもどって500個積み上げろと指示される。が、自分は、A地区を先にまとめて1500個積み上げてからB地区に取り掛かったほうが合理的と思いそれを上司に訴えるが、命令だから指示に従えといわれ、納得いかない気持ちを持ちながら作業して気持ちも体も疲れ果てる。

 

3上司から、お前の班は来月末までに必ず10万個詰め。さもないとお前の班のせいで期日まで大聖堂が完成しなくなるといわれる。班員の士気を鼓舞し、みんなで頑張ろうと盛り上がったものの、途中で班員の一人がメンタルで仕事ができなくなったり、いくら指示しても仕事を誤魔化したりサボる班員もでて、ノルマが達成できない状況に陥る。班長の私が上司に、人の追加や変更をお願いしても、ならぬお前の管理が悪いからだといわれ、残ったわずかの班員とで10万個を死ぬ思いで積み上げ、しまいに体調を壊す。