置かれた場所「以外の場所」で咲くこと

先日ある本を読んでいて、自分の生き方に気づかされるフレーズに出合った。

「ああ、そういうことだったんだよ」と、自分が選択したことを心から納得させてくれたフレーズ。

 

それは、

「今いる場所で咲くという話がある。自分が置かれた環境を受け入れ、そこでがんばっていこうという発想で、とてもステキだと思う。物事をすぐに投げ出していては咲く花も咲かない。厳しい冬を越えた先に春があるように、1か所でがんばることで花は咲くのだ。

しかし、南国の花は北国でキレイに咲くだろうか。南国の花は南国でこそ咲けるのだ。今、置かれた場所で咲くという発想も必要だが、そこがあなたにとってふさわしい場所でないのであれば、キレイに咲ける場所に移動することも大切だ。

もっと言うと、今の職場でがんばっていくことにも意味があるが、そこがあなたを活かし切れていないのであれば、さっさと逃げ出した方がいい。いつまでも花が咲くことはないからだ」(「人生、このままでいいの?」 河田真誠 著)

というフレーズ。

 

私の場合、置かれた場所で必死に咲こうとしたが、日がほとんど当たらず、いつも寒く、時には吹雪に晒されたり雹が降ったりした。また、周りの多くの植物から栄養を取られ、水もほとんど与えられない。

でも、いつか花が咲ける環境がくると思い、待ち続けて結局10年以上の年月が経った。

そんな環境が続く中で、自分の花を咲かすどころか枯れ始めた。

枯れる前にそんな環境から出てよかったのだと、心から納得することができたフレーズだった。