有機農法の先駆者の言葉から希望をもらいました

有機農法の先駆者の星寛治さんが、昨年12月に88歳で亡くなりました。

1970年代、当時有機農法は前例がなく、試行錯誤の連続で、周りからも冷ややかな目で見られながらも食と農と環境の大切さのために信念を持って取り組み、有機農法を確立された苦労人でした。

そして、消費者である都市との交流を通して、食と農と環境保全の大切さを広く訴えてこられました。

氏の考えに共感した立教大学早稲田大学など首都圏のたくさんの大学教授がゼミ生を連れて農業や農村での暮らしを体験し、食や農や生きることを学んだといいます。

また、氏は地元の町の教育長として長きにわたって、地域教育の発展に尽くされました。

さらには「農民詩人」といわれる文学者の顔も持ち、まるで現代の宮沢賢治のような人でした。

 

そんな星氏の生活を氏の著書を通して知りたいと思い読み始めたところ、私からは想像もできない苦労があるにも関わらず、それを受け入れ、糧として、人生を豊かにしていくという氏の考え方に圧倒されました。

 

器の小さな私には、そのとてつもなく大きな考えを受け止めきれず、ただ唸ることしかできませんでした。

特に響いた言葉を記させていただきたいと思います。

 

「農から明日を読む まほろばの里からのたより」星寛治著(集英社新書 2001年刊行)

以下、著書より引用

(略)・・・しかし、意欲を持って取り組んでも、天候不順や、病害虫や、冷害、旱魃、台風、豪雪などの災害で致命傷を受け、不作に鳴くこともしばしばだった。振り返ると、順風満帆の年などめったになく、いつも困難にぶつかり、喘ぎ喘ぎのり切ってきた年の方が多いことに気付く。また、作柄だけでなく、産物の価格変動に振り回され、さらにはその時々の農政に翻弄され、迷いながら生きてきた足跡が連なっている。

それでも、来年に希望を託し、土の力を信じて、倦まずたゆまず耕す手を休めずにここまで来た。その地道で報われることの少ない労働と、途方もない時間を、私はけっして徒労だとは思わない。自然のめぐみに呼吸を重ね、土に向き合い、生命を育てる営みは、自分の内面を耕す営みに重なり、そのまま心の充実をもたらしてくれる。その意味をかみしめることで、私は人生の背骨を形成してきたのだと思う。というより、生きる根っこを土の中に伸ばすことによって、米一粒ほどの小さな自分という存在を、少しでも確かなものにしたいと考えてきた。農耕生活は、その表現形式でもあった。(以下略)

 

(略)・・・私は、まだやれると思った。百姓になって45年、これまでも幾度となく危機に直面してきた。空前の冷害や旱魃などの異常気象、台風による大災害、病害虫や農政上の失敗による極度の減反、あるいは社会経済の変動や農政に翻弄された場面など、振り返ると枚挙にいとまがない。その深甚なダメージの中から、むくむくと不死鳥のように立ち上がり、ふたたび前方を見つめて歩いてきた。

その根源は何だろうか。それは、百姓が春を予感する力なのだと思えてくる。一年の四季のめぐりの中で育つ生命力。その作物の一生。りんごのような永年作物であれば、数十年の歳月と経歴性。そして、その育ちにかかわる人間の一生。それは、自分の生涯とともに終わるのではなく、子供の代、孫の代へとつながる連続性。その前方に春を透視する力こそが、今、求められているのだと、私は思う。(以下略)

(ここまで引用)

 

いかがでしょうか。

 

自分には絶対できないし、苦労をそんなふうには絶対に思えません・・・

 

星氏の思いの何百万分の1を相似形にして、農業ではない自分の人生に当てはめると、小さな存在である私の人生でも、私なりの豊かな生き方ができるはずだという希望をもらえた気がしました。自分にとっての「春」をまずは考えてみようと思いました。

(わかりにくい表現ですみません)