財津和夫さんの「ヒットする曲しない曲の分析」から思ったこと

「じじぃは蜜の味」(財津和夫さんが書かれたエッセイ本(中央公論新社刊))にとても興味深いことが書いてありました。

 

「チューリップ」というバンドのリーダーで、「心の旅」や「青春の影」など数々のヒット曲を作ってきた財津和夫さんが、ヒットする曲としない曲について、それぞれに共通点があると書かれていたのです。

 

財津さん曰く、ヒットする曲は、『私でない私が作った曲』だそうです(いわゆる「降りてきた」という感じでしょうか?)。

 

一方、ヒットしない曲は、『自分が作った』という意識が残った曲だといいます。

特に、自分の音楽知識や市場の嗜好などを加味して作り上げたどこにも欠点がない『現時点での秀作だろう』と自信たっぷりの曲が、なぜかヒットしなかったのだそうです。

 

なぜそうなるのか分析した財津氏の見解が、とっても興味深かったんです。

 

(以下、財津和夫さんのエッセイ「じじぃは蜜の味」⦅P155⦆からの抜粋です)

「この経験から私はある神秘的な結論へ至った。

 『大衆には歌曲の中に魂のようなものを見つけ出す力がある』ということ。さらには人と人の間を行き交う『気』のような存在が、その力にひと役かっている。

 人は嘘っぽいものを嫌い、魂の入ったとでも言うべき作品に感銘する。作品が着込んだ服ではなく、その中身の肉体に触れようとする。服ばかり着飾っても魂の宿らない肉体には誰も興味を抱かない。

 ーーー私のヒットしなかった曲たちは、どれにもそんな共通点がある」

(以上、ここまで抜粋)

 

なるほど・・・

これを日常に当てはめてみると・・・大切な思いを人に伝えるには、心の底からあふれでてくるものを頭のフィルター(自我)を通さないで、ストレートに表現することが大切だということなんですね。

 

財津さん、大切な気づきをありがとうございました!

 

 

そういえば、ふと以前書いたことに通じていることを思い出しました

心を伝えるということ - マッシモのフォーカシングな日々 (hateblo.jp)

(テレビに出演した中学生の演奏に感動したけれども、テクニックに勝る芸大の学生の演奏には感動できなかったという話です。)

 

まさにそういうことなんだな~と思いました。

 

 

蛇足ながら・・・

天才・財津さんの曲と私のブログを関連付けるのは、おこがましいにもほどがあると思いつつ(また、ブログを読んでくださる方を「大衆」などどは少しも思っていないのですが)・・・私のブログにもあてはまるような気がしました。

 

私のブログも、「ああ!」と感じたことについて、その感覚のまま文字にしたときは、読んだ方から「面白かったよ」と言ってもらえることが多かったです。

 

逆に、感じたことを素直に表現しないで、あれこれ頭でひねってこねくり回してかっこつけようとした内容には反応がないことが多かったのです。

 

気まぐれに自己満足的に綴っている私事の記録のブログではありますが、

読んでくださる方と「心の中の大切なもの」を共感しあえて、お互いの人生が深まることができるような記事をお届けするために、財津さんの言葉を肝に銘じなければとと思った次第です。