いつも車で通っている慣れた道を、自転車で走って気づいたことがあった。
狭い道を自転車で走ると、後ろから来る車が怖いこと。
車が結構スピードを出したまますれすれに追い越すので怖かった。
また、対向車が直進する私を無視するかのように直前で右折してぶつかりそうになった。
いずれも、自転車が邪魔だといわんばかりの走りっぷりで怒りが沸いてきた。
でも、いつも自分が車でこの道を走るとき、フラフラと危なっかしく走る自転車を鬱陶しいと思ったことがあったのでは?
自分は幅寄せをしていないつもりで走っていても、自転車からは怖く感じてしまう幅だったのでは?
向かい側から来る自転車をわかりながら、まだ余裕があると右折したりしていたのでは?
立場を変えてみると、お互いに見方が反対であることに気づく。
両方の立場を経験したからこそ気づけたことだ。
しかし・・・
生活をしていくうえでは、実際に相手の立場を経験することができないことが多い。
相手のことを想像することしかできない。
本当に相手のことをわかることはできないのかもしれない。
相手のことをより正確に想像できるようにならなければならない。
ただ、相手がどう感じているのかを率直に話してもらうことができれば、より相手を理解できるようになるはずだ。
当たり前のことなんだけど・・・
ただ、みんながみんな、素直に思いを表現してくれるとは限らない。
相手に気を使ったり、どうせわかってもらえないと白けたりして表現してくれないことの方が多いのかもしれない。
どうしたら率直に状況や本当の気持ちを伝えてもらえるようにしてもらえるだろうか。
聴く側が相手から信頼してもらうしかない。
どうしたら信頼して話してもらえるようになるのか。
それは、聴く側の日々の生活の在り方が滲み出て伝わってしまうのだろうから、常日頃から謙虚で思いやりがある人間であることを心掛けていなければならないのだと思う。
(なんか、結論が尻すぼみになってしまった・・・)
どなかたわかる方がいらっしゃれば、「聴く側がどうあるべきか」ご教示いただけれ ばありがたい。