自分を見つめる機会とその意味を与えてくれる本

9月も半ばになるというのにまだまだ暑い日が続いていますが、お変わりありませんか?

この暑さで気持ちは夏のままですが、もの悲しさを含んでいる日差しや、夕暮れの速さからすでに秋になっていることを知らされます。

おまけに、テレビのコマーシャルでは、スタッドレスタイヤの宣伝やなべ物の宣伝が入るようになりました。秋を飛んで冬を感じざるを得なくなっています。

 

「読書の秋」でしょうか、最近は冷房の効いた部屋で本を読む時間が増えています。

今日は、静かながら心の中に大きな足跡を残してくれた本との出会いを書きたいと思います。

 

昔読んで感銘を受けた本が、このたびAmazonkindleで大幅に増補改訂されて新たに発売されたと聞いて早速購入しました。

 

改めて読むと、新たな気づきや心の琴線に触れる言葉に出会いました。

そして何より、久々に自分を深く見つめる機会を与えてもらいました。

これからも読み続けていかなければならない大切な本だと思いました。

 

その本は、「祈りの言葉」(青山圭秀 著)です。

Amazon.co.jp: 祈りの言葉 (青山圭秀 BLUE BOOKS) eBook : 青山 圭秀: 本

 

 

私は普段日常の雑多なことにかまけてゆっくり自分を見つめる機会がほとんどありません。

このブログのタイトル「フォーカシングな日々」に偽りありの日々を過ごしています・・・(すみません)

ブログを書く時が唯一自分に向かう時間ですが、内に向かって書くことが単なる自己満足で終わっていないか、単なるストレス解消になっていないのか・・・と反省する部分もありました。

 

それが、今回この本を読みながら、本当の意味での自分を見つめる機会とその意味が得られたと感じました。

深く自分を見つめていくと湧き上がってくるのが「祈り」なのだと気づかされました。

 

この本を読む前は、「祈り」と言われても、無宗教の私には縁遠い言葉でしかありませんでした。

自分にとっての「祈り」とは、初もうでの時に神社でする個人的なお願いや、どうしようもないピンチに見舞われた時の神頼みのようなことでしかありませんでした。

自分にとって都合のいい「祈り」でしかなかったのです。

 

この本では、そんな個人的な祈りをも含めて、その先にある「祈り」とはどういうことかを、古今東西の祈りの言葉を引用して著者の解説やエッセイを添えてわかりやすく書かれています。

「祈り」はそれ自体を目的化することではなく、自分を深く見つめたその先にある行為なんですね。

「祈り」の意味と大切さが伝わってくると同時に、自分にとっての祈りを考えざるを得なくなりました。

 

著者は前書きで、

「(途中省略)祈りという行為の核心に触れる言葉が、必ず、このなかにいくつかある。

そのいくつかを、見つけてほしい。さらにそれを咀嚼して、自分にものにしてほしい。そうすることで人生が変わっていくのを体験してほしい。」

と書いています。

 

あわただしい日常の中で、ふと立ち止まって何度もこの本を読み返して内省していくうちに、いつしかその本の中の言葉が自分のものとなっていくのだと思います。

そして、そこから、本当の人生の意味がわかってくるのではないか・・・と感じました。