心理学のあるワークでは何度か救われたことがあるが、特に救われたと感じたワークがある。
先日、兄のように慕っていた従兄が6年前に他界したと書いた。その従兄に関するワーク。
従兄が亡くなる数日前、緩和ケア病棟にお見舞いに行った。すでに話もできない状態だった。その従兄を前にして、私は何の言葉もかけられず、足元から1mくらい離れたところにただただ立ちすくむだけだった。
感謝の言葉を伝えようとしても、お別れの言葉を言うようで申し訳ない感じがするし、辛すぎて近寄ることすらできなくなってしまった。
そんな私を、従兄は、薄目を開けてただただ見つめていた。
ますます何も言えないまま、従兄を見つめるだけで時間がすぎてしまった。
「また来るね」と言って病院を後にしたその数日後に亡くなってしまった。
あの時、どうしてきちんと目の前まで行って手を握って感謝の気持ちを伝えなかったのだろう。従兄に申し訳ないことをしたと自分を責め続けずっと後悔の念を抱いていた。
その時のことを心理学のワークですることになった。
ワークで、私が従兄役でベッド(便宜上机をベッドにみたて)に横になって、参加者のある方に私の役をやってもらうこととした。
ベッドに横になり、足元から離れてただただ立ちすくむ自分(の役をやってくれた人。非常にうまく立ちすくんでくれていた)を見つめたとき、「来てくれてありがとう。そこにいてくれるだけでいい」という気持ちが沸き起こった。自分を正当化するためにそんな感情がでたのか?などと疑う暇もなく涙が溢れてきた。
私は心から救われた感じがした。
あのワークでの経験がなかったら、きっと今も苦しんだままだったと思う。
一生忘れることのできない立脚点の変更のワークだった。