「足りなければ、満たせばいい。空っぽならば、埋めればいいのよ」

「足りなければ、満たせばいい。空っぽならば、埋めればいいのよ」

 

小説「マカン・マラン(23時の夜食カフェ) 第3話『世界で一番女王なサラダ』」(古内一絵 著)

で、カフェのオーナーである「シャール」が、自信をなくしている客の「さくら」に対してかけた言葉。

 

下請けライターである「さくら」が、仕事に対する自分の存在に関して虚しさを感じて、自分は空っぽな人間だと嘆いている場面。

 

「・・・忙しいばかりで、ちっとも自分の実績にならない仕事。

『今のままじゃ、いくら頑張ったって、結局なんにもならないんです。クライアントの意向に添って動くのが下請けの仕事だし、どれだけ働いても実績にはならないし、このままじゃ、どこまでいっても空っぽなままなんです』

けれど、それを選んだのは自分だ。

なぜならー

本当は、自分自身が空っぽだからだ。

世代のせいでもなんでもない。それは、さくら自身の問題だ。

受験とも恋愛とも、本気で向き合ってこなかった。

その都度流れに身を任せ、流され続けてきたつけが回ってきたのだ。

気づいてしまった。

空っぽなのは、ほかでもない自分自身だ。」

 

そんなさくらに、シャールが次の言葉を送った。

「空っぽなら、埋めていけばいいんじゃないかしら」

「足りなければ、満たせばいい。空っぽならば埋めればいいのよ」

 

この言葉でさくらの心に光が差した。

 

私も、さくらと同じ生き方をしてきた。本気で向き合ってきたことがない。流されて生きてきただけの空っぽな人間だ。まさに、今そのつけが回っている・・・

全く、本当に全く同じだ。しかもさくらの1.5倍も長い時間を生きてきている。

 

さくらの言葉がとても重く鋭く心に刺さった。

 

だからこそ、

「足りなければ、満たせばいい。空っぽならば、埋めればいいのよ」

 

この言葉が、私の心にもまぶしいくらいの光となって差しこんできてくれた。