毎日暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
私は先日、夜エアコンをつけないで寝たら、危うく熱中症になりかけました。
昔と違って、「これくらいの暑さなら大丈夫だろう」という甘い気持ちは禁物だと思い知らされました。
最近、去年買った雑誌「ユリイカ2024年 4月号 特集:山田太一」が急に気になりパラパラと読み始めています。
山田太一さんのファンなので、普段は縁のないこの雑誌を買ったのでした。
ファンといいながら、山田太一氏脚本のドラマは「ふぞろいの林檎たち」と「早春スケッチブック」くらいしか見たことがなく・・・
しかも、そのストーリーさえよく覚えていなくて・・・
(恥ずかしながら、代表作の「岸辺のアルバム」を見たことがなく…)
にもかかわらずファンだと言ってしまうのは、山田さんのドラマほど台詞を通じて伝わってくる温かい眼差しや、人は社会の中でどう生きるべきかを強烈に突き付けて考えさせる脚本家と出会ったことがないからです。
ストーリーは覚えていなくても、「ふぞろいの林檎たち」の、いわゆる学歴の負け組の若者が差別にあいながらも必死に前に進む姿に共感し力を貰ったこと。
「早春スケッチブック」で山崎努さんが演じた台詞から、常識にとらわれない生き方ができるかと突き付けられたこと。
ドラマを見てから40年くらい経つのに、いまだに新鮮な気持ちで、深く考えさせられているのです。
今回、ユリイカで、山田太一氏にゆかりのある方々がエッセイなどを寄せているのを読んで、山田太一氏が、いかに優しく温かい人であったか、そして、人との関わりの中で生きるとは?を考えさせる脚本家であったかということを改めて知ることができました。
「早春スケッチブック」での山崎努氏演じる沢田の台詞が具体的に書かれているエッセイを読んで、生きることについて改めて考えさせられました。
その台詞とは・・・
「自分の、気持ちに正直だなんてのは、一番ラクな生きようよ」
(作家の丸山正樹氏が書いた「先生への手紙」というエッセイより抜粋)
どうでしょう?
私には、この台詞は響いたというより、喉元に鋭いナイフを突きつけられたようでドキッとしました。
何故なら、ここ10年以上、自分の気持ちに正直に生きることが本当に自分らしく生きることだと思って、そうしたい、そうしようと生きてきたからです。
それが、尊敬する山田太一氏の台詞で、「一番ラクな生き方」と一蹴されてしまった。
この台詞、恥ずかしながら覚えていませんでしたが、山崎努氏の役に山田氏の考えを言わせていたのかもしれないと感じました。
ああ、自分は甘かったのかも・・・と思ってしまいました。
少し気持ちを落ち着けて、改めて考えてみました。
すると、ちょっと見方が変わってきました。
確かに自分に正直に生きることはある意味ラクな生き方かもしれません。サラリーマンとして(自分に正直でない生き方で)働いていた時の大変さを思うと余計にそう思います。生活のためそうせざるを得なかったからと言い訳しつつ。
ただ、ドラマの台詞から40年以上経って、世の中の意識はかなり変わっています。
今は、昔に比べたら自由に生きようと思えば生きられる時代になったと思います。
昔は、社畜といわれたように終身雇用で生活は守られつつ、ハードな仕事をこなしていた時代。転職などよほどでない限りありえなかった時代でした。
自分を社会(会社)に適応させて生きるのが当たり前という雰囲気がありました。
今はどうでしょうか?
コマーシャルで転職サイトや人材派遣でをよく見ます。転職に抵抗がなくなってきています。
「自分らしく生きる」という文言もよく見たり聞いたりするようになっています。
少し前は「自分探し」という言葉も流行りました。
社会に自分を合わせるというより、いかに自分を社会で活かすかという視点に変わっていると思います。
そんな時代の変化があっての今。
自分の生き方の選択は、「ラクをするためではなく、自分らしさを通して自分を社会に活かすため」
だからそれはそれで自分にとっての生き方でも正解ではないのかと思い直しました。
そう思い直してもなお(時代の変化や考え方の変化があるにもかかわらず)、山田太一氏の作品が気になるのは、先にも書いた通り、山田氏の温かい眼差しを通して描かれた主人公たちの一生懸命な生き方や、社会で生きることの普遍的な意味を問うているからだと思います。
ユリイカの表紙を飾る山田氏の優しく世の中を広く見渡しているような表情がすべてを語っているような気がしました。
もう一度、彼の作品のドラマを見てみようと思いました。
PS ユリイカに寄せられた俳優の中島唱子さんのエッセイが大変素晴らしく、別の機会にブログで書こうと思います。